8月以降なにしようか考え中

少し時間は空きましたが、関西インカレお疲れ様でした。ひとつ言い訳させてもらうと、日記の指名が来たのは6/3(土)です。そんなに滞納してません。ワタナベです。

 

さきほど藤本くんから、誤って全体日記の方に投稿しているとのご指摘を受けましたので、改めてこちらに投稿するとともに、心よりお詫び申し上げます。申し訳ありませんでした。

 

さて、これを読む暇人のために、かる~く僕の陸上人生でも振り返りますか。

 

中学

今でも尼崎のタータンの匂いを嗅ぐと、それはそれは暑い、中1の初夏を思い出します。ユニフォームがまだ届かず、体操服で爆走。優しい先輩に囲まれて無邪気に走っていました。競技場に足を踏み入れた時の高揚感をはっきりと覚えています。当時3年生だった先輩方、舐めた口をきいてすみませんでした。そんな先輩の一人には、現在教員として陸上競技に関わっている方もいて、昨年ユニバーで会いました。なんか懐かしくて、嬉しくて、何とも言えない気持ちになりました。僕は中学生の時にも一応主将を務めましたが、特に何もしてません。そして、このときから塚原くんとは競技力に差がありましたが、仲良く近畿総体でも走らせてもらいました。今振り返ると、当時は「全国に出たい!」とか「県で決勝に残るんだ!」とかいう強い気持ちや目標はなかったような気がします。覚えてないだけかもしれませんが。それでも、中坊が覚えるちっぽけな緊張感とかは、かすかに記憶しています。初めてユニバーで走った時は、スタブロについたときにしょんべんちびりそうになりました。あんな“デカい”んですもん。

 

 

高校

高校時代の話は部活でもさんざん話した気がするので何を書けばいいかもう分かりません。ただ高校に入ると、陸上競技を行う選手として、陸上について考えることが増えたと思います。授業中に走りのフォームを紙に書き、頭でレースを繰り広げていました。なんせ陸上、部活が楽しかった。諸先輩方、同期のみなさん、後輩たち、ありがとうございました。中学に続きここでも主将を務めましたが、当時の“顧問”が主将として僕に求めたことはあまりできなかったように思います。その気持ちが、大学での部員としての姿勢に若干は影響していると思います。高3にかけては、怪我や、チームの長であるという(へなちょこな)自覚、意識もあり、なかなか苦しいことも多かったですが、楽しく陸上競技ができたと思います。4継の学内記録も出し(なお数年後に藤本率いる最強世代にあっけなく抜かれた模様)、49秒台も出し、中学とはまた違った景色も見られました。そして引退後、夏休みに散髪と模試でしか外に出なかったワタナベは、自転車を5分漕ぐと筋肉痛になる身体へと退化しましたとさ。

 

 

大学

競技人としての成長ももちろんですが、人としての成長というか、陸上以外の学びが多かったように思います。同時に、なぜ陸上競技を続けているのかと自問することも増えました。陸上なんていつ辞めたっていいし、そんなこと自由ではあるけど、辞めなかった。そこには、自分の選択に責任を持ちたいという感覚があったのだろうと思います。競技者としての自分の脆さに頭を抱えるときもありましたが、それでも今、最後までやりきったと思えるし、しかも関西インカレ1部昇格という組織としての目標を達成できたという最高の結果付きです。そんなチームを、そして僕を引っ張り続けてきてくれた先輩方、同期の皆さん、本当にありがとうございました。僕はやなぎさんみたいに名前を挙げて感謝を述べることはしませんヨ。

 

最後に、これから部を支える人たち、頑張ってください。強い神戸大学陸上競技部であってください。なんかあんまりご飯とか連れていけてないなと思ったので、また部活の話聞かせてください。

 

次また当てときますね。